生き方
アツく生きる
圧倒的努力
自分の心の声を聞く。

仕事はプロフェッショナル 
数字確認パソコン、野菜知識ノート、他社見学ノート、効率化メンテ知識ノート、PDCA(業務内容完遂、なんでも聞く。

趣味
走る 山 に 面白く向かえるか



走りに行った。

走りに行く前から スタイル、大会、目標、生き方 色々葛藤しすぎて吐きそうだった。

走りながら考えるか。

河川敷に出て、星を見て、暗い空間と自分が一体化したぐらいで、確固たる意志を確認できた。

俺はランニングに救われている。 救われてきた。 救われている。 
走る という行為そもそもが好きだ。好きなんだ。気持ちがいい。別人間になれる。別思考になれる。

目標なんか なくても 走るのは楽しい。 好きだ。
スタイルなんてどうでもいい。何も持っていないし。がりがりになってもいい。
極めるとはなんなんだ。 大会の順位やタイムを目指すこと。それに向かって、トレーニングすることが走ることを 極めるのなのか。 それだったら目標を立ててトレーニングすることが好きなのでは。
違う、それを大学からしてきたが、 何一つ続かなかったし、一度も実行しないものもあった。
自分はどんな時幸せか。 小学校の時小津神社まで走っているだけでsbで勝てると思っていた。
あの時は勝つためにこのトレーニングが絶対 それ以上考えなかった。勝つことには執着がなかったのだろう。 走りにおいて勝つことに執着はなかった。ただ、毎日6㎞というあの時からしたら異次元のトレーニングに自惚れしていた。自己万だ。 それが幸せだった。自信があった。
今は目標を見つけて、 頑張ろうとすると走ることさえいやになる。山もしかり。目標の穴ばかり見てしまう。絶対的な存在でないと、トレーニングできない、でも絶対的な存在なんてない だから迷う。

息があがることは嫌いではない。 目標あっていき上がるのはつづかない つまり嫌。
目標が嫌なのか。? 他人の決める軸に100別途するからしんどいんちゃうの?
仮に 毎日15㎞走る。 好きだから。 その差別感。無敵間。絶対感。無二感。
それで、飛騨なり、フルなり、駅伝なりマスターズなりに立ち向かう
ってのはどう?自分軸があって、それは絶対的で、 それで戦う。それでタイムや順位を目指す。
合理的かどうかではない、自分が走ることを嫌いにならない方法なら何でもいい。走らなくてもいい。
整理しよう。
叶えたいこと。欲望
普段から自分のカッコいいと思えるトレーニングをする。
親や身内を沸かせたい。駅伝で9分台だして勝ちたい。ランで猛者と戦いたい。
孤独感MAXの旅ランをしたい。 ウルトラマラソンに出て知らん奴と感動を分かち合いたい。
自分だけのラインを引きたい。基地外みたいな旅をしたい。

それの具体的内容
駅伝で9分台だす。 20㎞マラソンで戦う。 ウルトラマラソンで戦う  旅ラン 縦走



今日は昼過ぎまでは面接の練習をした。
3分という時間は予想以上に短かった。
カメラに自分の顔が映っていたが、表情がこわばっていた。
印象は悪いが、それはそれでいいんじゃないか。

昼過ぎ、長島に向けてチャリを走らせた。
ルートなんて決めていなかったが、本能が
河川敷を走った。
想像の域を超えた青、水色、白の空間だった。いるのは自分と数台の車のみ。
葛藤や鬱蒼とした感情がその空間に凪のように消えていく。消化していく。

カバンから電話が鳴り、上司からだった。止まっていなければ危ない所だった。セーフ
アウトレットに着くと、さっそくセブイレに行った。最近ファミマばっかだったので、セブンに行きたくなった。だから行った。長島でしか堪能できないもの、それはセブンだ。自分にとっては。
あと店をまわったが、アウトドアも私服も極めて大衆よりで偏りのない専門性にかける品揃えだ。
そっちのほうが世間受けはいいのだろう。自分にはしっくりこず、後にした。
でも靴を変えなかった憤りのまま、桑名のデポに行った。同じ場所にかえってきた。
運命とは、こういうことだ。専門店でもなく、大衆受けも悪い、自分と似ている。類は友を呼ぶ。
良い靴があったので、3000円の差額に負けてネットで買った。
帰り夕暮れ、妙な疲労感とともに、妙な高揚感が体を漂っていた。幸福感というか。外と一体した感じというか。。 幸せとはこんな感覚なのか、、孤独じゃなければ、、 まあしょうがない。
帰宅してスマホを触り、走りに行った。

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